Goerge Orwell

George Orwell

1903年6月25日 – 1950年1月21日
イギリスの作家、ジャーナリスト。
本名:エリック・アーサー・ブレア(Eric Arthur Blair)

代表作

・『動物農場(Animal Farm)』 (1945年)
・『1984年(Nineteen Eighty-Four)』 (1949年)

私の印象

ディストピア小説のイメージが強い。

権力、自由、格差、情報、政治、思想

ジョージ・オーウェルと言われるとこのような言葉が思い浮かんだ。

オーウェルの代表作のひとつ、『1984年』は非現実の世界でありながら、とてもリアルに社会や人間が描かれている。現実の社会に結びつけることができる内容がたくさんある。ニュースをみていると、『1984年』の社会を彷彿とさせるような出来事がときどきある。私は高校の時にこの本を授業で “読まされ”、現実社会や歴史との比較を先生に “やらされた”。今は読んで良かったとめちゃめちゃ思っているよ。高校の教材として使用されることもあるほど、現実社会との結びつきが多々ある書物として評価されている。ディストピアな政治の社会を的確に記しながら、一つの物語としてとても面白い。政治と芸術が融合した名作だと思う。

調べる目的

世代を超えて読み継がれる書物をどのようにして書いたのか。どのようにして物語の発想を得ていたのか。そして、なぜ作家を志したのかが知りたい。

ってことで、軽くいろいろ調べてみた。

ぱっと見、生い立ちが物語の設定に深く関係していることがわかった。

生い立ちや出来事

  • イギリス本国がインドを統治していた時代にインドで生まれた。
     (イギリス本国によるインド統治 1877年〜1947年)
  • インドから引っ越し、幼少期はイギリスで過ごす。
  • 学生時代は、奨学金を得て進学校に通っていた。
  • 家庭があまり裕福ではなく、学校の規律や伝統、貴族的な社会に馴染むのが難しかった。
  • その頃の辛かった日々に皮肉を込めて『あの楽しかりし日々』というエッセイをのちに書く。
  • 高校の時に大学雑誌の刊行にハマってた。
  • そしたら成績が悪くなっていった。
  • 大学に行きたかったが、雑誌制作にのめり込みすぎたせいで成績が悪くなり、奨学金がもらえなかったため進学は断念。
  • イギリスの植民地ビルマ(現ミャンマー)で帝国警察として働き始める。
  • 植民地での暮らし、英国人としての立場などを認識し、社会に対する疑問が現れる。
  • ビルマの現地人からは、よそ者扱いをされた。罵声を浴びせられることも。
  • この時のオーウェルの髭、ヒトラーみたい。
  • ビルマでの警察の経験をもとに『ビルマの日々』『絞首刑』『象を撃つ』を書いた。
  • ビルマ帰国後、作家になることを決意。1928年くらい。
  • イギリスの貧しい地域をまわって貧困層の生活について知ることに専念。
  • この経験をもとに、後に『パリ・ロンドンどん底生活』を書いた。
  • ペンネーム、George Orwellを名乗り始める。「オーウェル」は彼が好きだったイギリスにある川の名前らしい。
  • 1932年、教師になった。
  • 1933年『パリ・ロンドンどん底生活』出版。彼の最初の出版物。そこそこ成功した。
  • 教師としての生活をもとに、小説『牧師の娘』も書いた。
  • 1936年、スペイン内戦に参加。戦争経験をもとに『カタロニア讃歌』を執筆。
  • 第二次世界大戦、ジャーナリストとしていろいろな記事を書いた。
  • 『宇宙戦争』のHGウェルズと関わりがあったっぽい。けど意見が合わなくて喧嘩した。
  • 戦時中にBBCで戦争の仕事をしながら『動物農場』を書いてた。
  • 戦争終わって『動物農場』めちゃ人気出た。名声と莫大な収入を手にいれる。
  • スコットランドのジュラ島に行って『1984年』の執筆を始めた。
  • 結核になってしまった。もともと体弱がちだった。
  • 1949年『1984年』出版。
  • その後、結婚。相手は『1984年』のヒロインのモデルとされている。でも地位・名声・財産狙い説あり。
  • 1950年、結核の合併症で死去。

ざっとまとめるとこんな感じだと思う。興味を持ったところを主に取り上げたから、重要なところが抜けてるかもしれないけど。

Why I Writeについて

“Why I Write” というオーウェル自身が書いたエッセイがある。
そこには、彼の小説家としてものを書く動機や目的について記されている。

「たぶん5歳か6歳くらいの幼いころから、私は大きくなったら作家になるべきだとわかっていました。17歳から24歳の間はこの考えを捨てようとしましたが、自分の本性を踏みにじっているという意識があり、遅かれ早かれ落ち着いて本を書かなければならないだろうという意識がありました。」 (Google翻訳)

“From a very early age, perhaps the age of five or six, I knew that when I grew up I should be a writer. Between the ages of about seventeen and twenty-four I tried to abandon this idea, but I did so with the consciousness that I was outraging my true nature and that sooner or later I should have to settle down and write books.” (原文)

もう、ちっさい頃から作家になろーって思ってたのか。すごいですね。

この文章も気に入った。

「作家の主題は、その作家が生きている時代によって決まります。少なくとも、私たちのような混乱した革命的な時代においてはそうです。」(Google翻訳)

“His subject-matter will be determined by the age he lives in ­– at least this is true in tumultuous, revolutionary ages like our own –”(原文)

まさにそうだなと思った。
植民地統治の時代。戦争と隣り合わせの時代。国家が絶対的な権力を持つ時代。歴史の授業で学んだように、彼の生きた時代は混乱した革命的な時代だ。そんな時代を生きる中で、ビルマから帰還した頃、彼は「自分の目で見た現実を記録し、伝えたい」という強い意志が芽生えた。そして、「真実を語ること」「人々の目を現実に向けさせること」に対して強い使命感を抱いていたらしい。

やはり作家の衝動は、自身の経験が深く結びついているのだなと思った。

また、オーウェルは作家として書き続けるモチベーションについて、4つの動機を記していた。

1. 純粋な利己心 – 自分の知識やスキルを世の中に知らしめたい。
2. 美的熱意 – 美しい文章やリズムへのこだわり。
3. 歴史的衝動 – 物事をあるがままに見て、真実を記録して後世に残したい。
4. 政治的目的 – 社会的不平等や権力の腐敗を暴き、より良い世界を作るための行動。

作家に限らず、オーウェルに限らず、1と2に関してはこの意識は多くの人に根付いていると思う。そして、3と4に関しては人によって置き換えられる何かしら強い気持ちを持っている。それこそ生きた時代によって変わるだろうし、育ってきた環境も影響するだろうし。
オーウェルだから非凡でずば抜けたモチベーションがあるわけではない。誰もが持っている衝動や欲望を本気で行動に移したことが偉大なんだと思う。
しかし、これを言葉にして書き残したオーウェルってすごいね。自分の熱意とか衝動とかを突き詰めて分析したんだろうなと思う。これらの衝動を満たすために人生をかけて行動することには勇気がいる。多くの人は気づいていながら、その衝動を箱にしまって閉じ込めているんじゃないかな。はい。そんなことは一旦置いといて。

「本を書くことは、痛みを伴う病気の長い一服のように、恐ろしく疲れる闘いです。抵抗することも理解することもできない悪魔に駆り立てられなければ、そのようなことを引き受けることはありません。その悪魔は、赤ん坊が注目を求めて泣き叫ぶのと同じ本能にすぎないことは誰もが知っています。しかし、自分自身の個性を消し去ろうと絶えず努力しなければ、読みやすいものは何も書けないのも事実です。」(Google翻訳)

“Writing a book is a horrible, exhausting struggle, like a long bout of some painful illness. One would never undertake such a thing if one were not driven on by some demon whom one can neither resist or understand. For all one knows that demon is simply the same instinct that makes a baby squall for attention. And yet it is also true that one can write nothing readable unless one constantly struggles to efface one’s own personality. “(原文)

書くことは楽しいことばかりではない。疲れる。苦しい。自分の生み出した作品を世に出したいし、注目されたいし、評価されたい。純粋な利己心、美的熱意、歴史的衝動、政治的目的が動機としてある。でも、個性を留めないと万人受けはしない。オーウェルの努力と苦労と試行錯誤が想像できる。「個性を消し去らないといけない」というところには驚いた。自分の個性が評価されるまで書き続けるのではなく、個性を消して読みやすいものを書くという姿勢は、私の想像する「芸術家」にはなかった。

調べてみて考えたこと

  • 世代を超えて読み継がれる書物をどのようにして書いたのか。
  • どのようにして物語の発想を得ていたのか。
  • なぜ作家を志したのか。

私の好奇心はこれだった。だから興味のある部分を重点的に調べてみた。

私の中でのオーウェルのキーワードはこれ。

社会への関心・不満。自分の役割の認識。書くことが好き。不安定な時代。

やっぱ、ものを書く人、作品を生み出す人は何かしら強い情熱を持っている。そして、その多くが若い時期に感じたこと、経験したことに基づく。
幼少期に感じた格差。ビルマでの経験。戦争の時代。
生い立ちや世界を変えるような出来事はオーウェルの心を揺るがし、生み出す作品に深く影響していたようだ。

社会への関心や不満があり、その上で自分の役割は「自分の目で見た現実を記録し、伝えること」だと認識した。そしてその手段は、小さい頃から大好きだった「書く」ということ。不安定な時代に生きた自分だからこそ描ける作品を、並外れた努力を重ねて死ぬまで書き続けた。そこには、時代の流れと、自分の興味と、世間の興味がたまたま合致したというタイミングによる運の要素もあったかもしれない。だから、戦後すぐに『動物農場』が大ヒットしたのかも。でも、運の要素があったとしても、人生の全ての経験と思考と感情をフル活用して物語に魂をこめたからこそ、ようやく創出することのできた名作なんだと思う。

『1984年』を書いている時は結核を患っていたことがわかった。死を意識しながら書いたのかな。自分の人生の全てを吐き出して集大成を創り上げたのかな。梶井基次郎とか、樋口一葉とか、宮沢賢治とか、死の直前に名作を生み出した作家は歴史上たくさん存在する。スティーブ・ジョブスもそれに分類されるかもしれない。死に際の作品は名作。
その人の人生の集大成が詰まってるんだろうな。かっこいい。人生の集大成を作り上げるのは私の憧れ。夢。

歴史の流れで考えたら、今は圧倒的に平和な時代だと思う。少なくとも日本や、現在先進国と呼ばれる国々では。でも、一人ひとりの生活を切り取れば、苦しいこと、辛いことはそれぞれ存在する。そして、現在も革命的な時代ということができる。びっくりするぐらい速いスピードで技術は発展するし、生活が変わっていく。その時代なりの不満や苦悩は存在している。そして、その時代なりの自分の役割があるんだと思う。熱意とか使命感とか、自分にとって大切なものは何かとか、この時代だからこそ必要で自分にできることは何かとか。そういうことを真剣に考えて自分なりの答えを出したいな。その上で最終的には、自分の人生の集大成を創りたい。

George Orwell、Eric Arthur Blair、この人の人生はかっこいい。

そういえば、思ったこと。
日本語のWikipediaと英語のWikipedia、情報量全然違うね。